山口地区の歴史

山口地区は、狭山丘陵の谷あい、柳瀬川の流域に広がる地区である。
水の便に恵まれ、古くから人が住みやすい条件を備えており、平安時代末期には 既に村山党の一族による開発が始まっていた。
土地の名を取って「山口氏」と称した彼らは、この地に館を築き、鎌倉時代から 戦国時代まで在地の武装集団として活躍した。
山口城跡は、その本拠地として、山口貯水池畔の根古屋城はその出城として用いられた としている。 山口氏は鎌倉公方に反抗して一時没落するが、後に再興して関東管領家山内上杉氏の 支配下に入った。
その上杉氏が北条氏に追われると今度は北条氏にさがり、戦国時代末にはその家臣として 「大鐘」などの領地を保証されたことが分かっている。
その滅亡後は中小領主としての力を失い農民化した。
中世には、山口氏の元で「山口郷」という大きなまとまりを作ったこの地区は、江戸時代にはいると 近世村落として分割され、最終的に11個の村となって旗本や幕府の支配を受けた。
これほど小村が割拠する状況は他の地区にはなく、山口谷とも通称されるこの柳瀬川流域に古い 時代から耕地の開発が進み、人々の居住が進んでいたことを裏付ける。
しかし、明治時代になるとその小規模さが問題となった。
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